2019.02.25 Monday

いちごさん 佐賀県産いちご

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    いちごさん  という  いちご  知っていますか?

     

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    佐賀県が現在、力をいれている品種です。

    ふるさと納税で頼んでくれました。

     

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    実がしっかりしています。甘い!!(^^)!

    本当に美味しいイチゴは、種の色でわかります。種が赤いイチゴは甘くておいしいのです。

    これからは、いろんな種類のいちごがたくさん出てきますね。

    さがほのか、あまおう、などなど、昨年は、スカイベリーが美味しかったです。

     

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    これは、義理父89歳の朝食、

    ホットミルク、ポテトサラダ、黒糖パン、黒豆入りヨーグルト、季節のくだもの

    本日は、イチゴさん2ことバナナ二分の一、野菜ジュース、本日はぶどう入りです。

    これに、ソーセージと卵焼きをつけるとホテルの朝食なみになりそうです。

    朝から7品目そろえるのも大変かもです。

    いつも完食されるので、食欲は人一倍すごい。それだけお元気ということですね。

    2019.02.23 Saturday

    熊本城マラソン2019

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      2019年2月17日(日)熊本☀

       

      熊本城マラソンの応援にやってきました。1年ぶりの熊本です。

       

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      ここがスタート地点、後ろに見えるは、補修中の熊本城です。

      市役所前地点?私は、鶴屋百貨店前から応援しました。

      朝は寒いです。

       

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      ここが、鶴屋百貨店前、真正面にカトリック教会が見えます。市内電車もここで折り返し

      です。結構、市内あちこちで通行止めです。最新の市内電車は、かっこいいです(^^)/

      若い女の子達が、オレンジジャンパー着て、スタッフとして頑張っていました。

       

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      整列していますが、ピンボケ(>_<)

      1万5千人のランナーが走りました。

      相方も元気でそれほどの疲れのなくゴール。お疲れ様でした。4時間15分でした。

      結構坂道があったそうで、最後の二の丸への坂道は地獄とか。

      交通規制がたくさんあったけど、トイレの数も多く、応援も多かったそうです。

       

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      ホテルのくまもん。一緒に写真撮っている人見かけました。

       

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      熊本らーめんで有名な店みたいです。

       

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      やっとこさ、熊本城に来ました。通行止めで結構遠回りしました。(>_<)

       

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      1年前よりひどくなっているような気がしました。

       

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      拡大するとぴんぼけ(>_<)

       

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      お城は、昨年と比べると補修が進んでいます。

       

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      野菜たっぷりちゃんぽんを頂きました。ごちそう様でした。

       

      来月は、さが桜マラソン走りますよ!お楽しみに!(^^)!

      2019.01.17 Thursday

      元善光寺 お礼参り

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        元善光寺 お礼参り

         

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        南アルプスは雪を背負い、寒いです。 高速SAより

         

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        推古天皇十年に信州麻績(おみ)の里(現在の飯田市座光寺)の住人本多善光(ほんだよしみつ)公が、国司の供をして都に上がった時に、難波の堀にて阿弥陀如来様にめぐりあい生まれ故郷へお連れし、お祀りしたのが元善光寺の起源です。
        その後、阿弥陀如来様の御告げにより芋井の里(現在の長野市)に阿弥陀如来様を御遷しすることになった時、再び御告げがあって「毎月半ば十五日間は必ずこの麻績の古里に帰り来て衆生を化益せん」との御誓願を残されました。そもそも善光寺の名は善光公の名を以って付けられたものです。
        御詠歌「月半ば毎にきまさん弥陀如来、誓いぞ残る麻績の古里」とある様に、古来長野の善光寺と、こちら飯田の元善光寺と両方お詣りしなければ片詣りと云われております。

                                   元善光寺 HPより

         

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        御本堂外陣より、履物を履いたままでお戒壇巡りをお参りいただけます。
        お戒壇巡りとは、仏様の体内巡りともいい、暗闇の中を手探りで進み、御本尊様の真下に位置する「御錠前」に触れていただくことで
        仏様とより深いご縁を結んでいただくものになります。元善光寺のお戒壇巡りは無料でお参りいただけます。

         

                                  元善光寺 HP より

         

         

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        お昼は精進料理でした。

         

        お疲れ様でした。後は三田に向かって帰るのみ! ご安全に!

        2019.01.14 Monday

        信州 善光寺 お礼参り

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          西国三十三所のお礼参り 信州 長野の 善光寺参り

           

          牛に引かれて善光寺参り

          昔、信濃の国、小県の里に心が貧しい老婆がいました。ある日、軒下に布を干していると、どこからか牛が一頭やってきて、その角に布を引っかけて走り去ってしまいました。女はたいそう腹を立てて、

          「憎たらしい。その布を盗んでどうするんだ。」

          などと怒りながらその牛を追いかけていきました。ところが牛の逃げ足は早く、なかなか追いつきません。そうする内に、とうとう善光寺の金堂前まで来てしまいました。日は沈み牛はかき消すように見えなくなりました。ところが善光寺の仏さまの光明がさながら昼のように老婆を照らしました。ふと、足下に垂れていた牛の涎(よだれ)を見ると、まるで文字のように見えます。その文字をよく見てみると

          うしとのみおもひはなちそこの道に
                  なれをみちびくおのが心を

          と書いてありました。女はたちまち菩提の心(仏様を信じて覚りを求める心)を起こして、その夜一晩善光寺如来様の前で念仏を称えながら夜を明かしました。昨日追いかけてきた布を探そうとする心はもうなく、家に帰ってこの世の無常を嘆き悲しみながら暮らしていました。たまたま近くの観音堂にお参りしたところ、あの布がお観音さんの足下にあるではないですか。こうなれば、牛に見えたものは、この観音菩薩様の化身であったのだと気づき、ますます善光寺の仏さまを信じて、めでたくも極楽往生を遂げました。そしてこのお観音さまは今、布引観音といわれています。これを世に「牛に引かれて善光寺参り」と語り継いでいるのであります。
          (この説話は江戸時代後期の浮世絵師、東都錦朝楼芳虎の「牛に引かれて善光寺参り」と題する絵に添えられた文章を現代語訳したものです。)

          善光寺は古来より女性の信仰の対象でありました。主人公のように信心のない女性にも、如来さまはお慈悲をかけ、導いてくださるということを説いています。阿弥陀如来さまの脇侍の観音菩薩さまが牛に化したというのは、まさに観音菩薩が阿弥陀如来さまのお使いとなって善光寺に導いたということなのでしょう。全ての衆生(生命のあるもの)を救済し極楽浄土へ導きたいというのが、阿弥陀如来さまのご誓願です。善光寺にお参りになりました折には、「南無阿弥陀仏」とお念仏をお唱えしていただき、如来さまとご縁をお結びになって下さい。

                                       善光寺 HPより

           

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          早朝6時半すぎ

           

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          善光寺の御本尊様は、一光三尊阿弥陀如来像です。中央に阿弥陀如来、向かって右側に観音菩薩、左側に勢至菩薩が一つの光背の中にお立ちになっています。しかし、御本尊様は絶対秘仏で、今日そのお姿を拝むことはできません。

          『善光寺縁起』によれば、善光寺如来様は、遠くお釈迦様在世の時にインドで出現なさったといわれております。その後、百済にお渡りになり、欽明天皇十三年(552年)、日本に仏教が伝来した時に、百済より贈られたと語られています。

          御本尊様は古来より「生身の如来様」といわれております。人肌のぬくもりを持ち、人と語らい、その眉間の白毫から智恵の光明を発しているというのです。奈良の法隆寺には「善光寺如来御書箱」という、聖徳太子と善光寺如来様が取り交わした文書を入れた文箱が現存しています。このように、人々と触れあう如来様として信仰を集めて参りました。

          善光寺の御本尊様の印相は特徴的であるといわれております。中央、阿弥陀仏の印相は、右手は手のひらを開き我々の方に向けた施無畏印、左手は下げて人差し指と中指を伸ばし他の指は曲げるという刀印です。これは法隆寺金堂の釈迦三尊像に代表される、飛鳥・白鳳時代頃の仏像に特徴的な印相です。左右の菩薩の印は梵篋印といい、胸の前で左の掌に右の掌を重ね合わせる珍しい印相をしています。その掌の中には真珠の薬箱があるといわれています。また、三尊像は蓮の花びらが散り終えて残った蕊が重なった臼型の蓮台に立っておられます。このような特徴を全て備えた一光三尊阿弥陀如来像を通称、善光寺式阿弥陀三尊像といっております。

                             善光寺 HPより

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          行きもお数珠頂戴 いただきました。ありがたいです。

           

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           お戒壇めぐりも無事終わらせ、1時間以上の読経も終え、ました。

           

          第4回 お戒壇巡り

          お戒壇巡り入口

          ▲お戒壇巡り入口

          善光寺へお詣りされますと、色々と思い出を残されることでしょう。中でも、お戒壇巡りは印象の強いものの一つでしょう。

          お戒壇の、一寸先も見えない暗闇の中を手探りで進み、やがて御本尊様の真下に懸かる「極楽のお錠前」に触れて出てきた時、最初に目にするのが出口から射し込んでいる光です。本堂の中は薄暗く、光も大変弱いものです。しかし、目の前にそのわずかな光を見る時、ほっと安堵の思いをいたすことでしょう。普段は感ずることのない、光のありがたさ、目の見える尊さを覚えることでしょう。

          お戒壇巡りは、秘仏の御本尊様の下を巡って、仏様の分身ともいえるお錠前に触れることによりまして、仏様と縁を結び極楽往生のお約束をいただき、私たちが本来持っている仏縁の種を大切に育ててゆくことを仏様にお誓いする「行」であります。

          数十年前までは、経帷子(きょうかたびら)を着て草鞋(わらじ)を履き、手には白木の念珠をし、口には「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱え、死出の旅路の装束でお戒壇巡りをする風習がありました。これは、善光寺で極楽往生のお約束をいただき、いざ今生の別れを迎える時、その装束をして極楽へお連れいただくためのものでした。

          お戒壇の中の暗闇は、無差別平等の世界をあらわしているものとされております。私たちは、日頃、余計なものに眼を奪われて、ものの本質を見誤ったり、争ったり、嫉妬したり、むさぼったりして、結果は悩みに陥るのです。ところが、暗闇の中では、私たちは種々のとらわれの心を離れ、極楽のお錠前を探し当てることに専心します。つまり、仏様の世界に入って行くことができるのです。

          私たちのこころの中には仏になる種が植えられています。仏種(ぶっしゅ)とも仏性(ぶっしょう)とも申します。ダイヤモンドは最初から光り輝いている訳ではありません。原石に磨きをかけることで美しい輝きを放つのです。私たちのこころも同様です。お戒壇巡りをしていただくと、眼の不自由な方の日々の苦しみ、不安をご理解いただけることと思います。そうした方々に手を差し伸べる、そんなわずかな親切が、心の仏種に水をくれることなのです。日常の小さな親切、思いやりの精神こそ、こころの中にあるダイヤモンドの原石を磨くことに他なりません。

          お戒壇巡りをされる際には、阿弥陀如来様からご縁をいただくことで、皆様のこころの中にある「仏となる種」を大きく育てているのだ、という気持ちでお参りされますと、より一層有意義なものとなるのではないでしょうか。

                                            善光寺 お戒壇めぐり HPより

           

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          失礼ながら、後ろからお数珠頂戴の様子を撮らせていただきました。

           

          善光寺の本堂では一年を通して数多くの法要が営まれます。「お朝事」といわれる「御朝事法要」はお寺の朝の勤行に当たりますので毎朝行われます。また、11時と正午に行われる「日中法要」は年間4ヶ月行われます。この他に、お正月の「朝拝式」、春・秋の「彼岸法要」などは申すまでもなく、一般の方々のための特別大法要など、様々な法要が年間を通して営まれています。

          これらの法要には、善光寺住職である大勧進のお貫主さまと大本願のお上人さま、または副住職さまがお導師として本堂においでになります。その本堂への往復の道中、参拝の方々が参道にしゃがんでおりますと、お貫主さまでもお上人さまでも、必ず手にされた数珠で皆様の頭にお触れになり、ご自分の功徳をお分け下さいます。この所作を善光寺では「お数珠頂戴」と申します。

          時には、お数珠を頂戴しようとして、参道に何十人、何百人と並んでおられることもあります。お貫主さまもお上人さまも、「身業説法」の一つとして、喜んで勤めていらっしゃいます。「身業説法」とは、言葉ではなく行動で仏の道をお説きになることをいいます。信仰のある方は、お二人の功徳をありがたくいただくことで更に信仰を深めます。信仰のない方も、お数珠を頂くと何とはなしにありがたい心持ちになるとおっしゃいますから、信仰へのご縁を一緒にいただくことになるのです。すなわち、「お数珠頂戴」の所作は無言の説法ともいえます。

          僧侶が数珠を信徒の方の頭に授けることで自らの功徳を振り向けるということは、比叡山の回峰行者が行っていますから、いにしえより行われていたことなのでしょう。善光寺でいつ頃から行われるようになったのかは未詳ですが、徳高いお導師の慈悲の心と信者の深い信心とが、善光寺如来様への信仰の下、自然に一体となって形になったものが善光寺の「お数珠頂戴」であるのでしょう。

          ご住職のお数珠は毎朝頂くことができます。当HP【参拝のご案内】「お朝事・お数珠頂戴の時間」をご参照の上、是非ご参拝下さい。

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          この中には、お経がたくさん入っています。

           

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          お経の入った建物です。

           

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          南無阿弥陀仏   南無阿弥陀仏    南無阿弥陀仏 

          2019.01.13 Sunday

          善光寺 の 夜

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            朝三田を出て、信州長野の善光寺に着いたら夜でした。

            御礼参りは、明日朝6時半からなので、夜の善光寺に行った見ました。

             

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            夕食は、峠の釜めし他、鍋、茶わん蒸し、鮎、天ぷら、メロンやリンゴなどなど。

            おいしかったです!(^^)!

             

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            善光寺仁王門。夜だと少し怖い?

             

            現在善光寺に立っている仁王門は、大正7年(1918)に建立されてからちょうど100年の節目を迎えます。100年というと、意外に短いと思われるかもしれません。これには善光寺の歴史が関係しています。というのも、善光寺では本堂も含め数度焼失の憂き目にあっています。仁王門も例外ではなく、過去に二回焼失してしまったという歴史があるため、現在の仁王門が建立から100年となっているのです。

            善光寺へ正面から参詣される方は仁王門を通る際、まず最初に仁王像を見ることになるかと思います。この時、仁王像が逞しい肉体を持ち、また厳めしい表情をしていることにすぐ気づくと思います。なぜこの様な姿をしているのでしょうか。それは、仁王が寺院の門から仏敵を追い払うという役目を担っているからです。

            厳めしい表情は、忿怒相(ふんぬそう)と呼ばれます。仏教の世界を邪魔しにくる悪者に対して、この表情をもって威嚇することで仏教を守護しています。左右で表情が異なり、善光寺では向かって左側の口を大きく開けているのが阿形(あぎょう)、向かって右側の口を閉じているのが吽形(うんぎょう)です。この阿形、吽形という名前は、私たちが一番最初に発する音から最後に終わる音までと同じように、全ての物事から皆様を御守りしていることを表しています。

            また、仁王が片手に握りしめている物にも悪者を追い払う力があります。それは「金剛杵(こんごうしょ)」という武器で、これを持つ姿から仁王は別名を「金剛力士(こんごうりきし)」とも呼ばれています。「金剛」はとても固い物質とされ、仏教ではその堅固な力を尊び、様々な用語に使われています。この強靭な武器を手にする姿も、仁王の強さを表現しています。

            最後に、現在の仁王像が造られた時の話です。善光寺には日本忠霊殿に史料館があり、そこには仁王像の原型像が展示されています。実はこの原型像は仁王像の制作過程に大きく関わっています。作者は高村光雲と、米原雲海という彫刻家の二人による合作です。二人は像を造立する際、まず原型を作ったのです(https:/www.zenkoji.jp/ shiryokan)。この原型こそが忠霊殿史料館に展示されている仁王像の原型像なのです。

            是非善光寺に来た際には、見に行って頂きたいと思います。

                                      善光寺 仁王門 HPより

             

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            信州 善光寺 仁王門

             

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            参道も長ーいです。夜は人が少なくていい。寒いですよ。

             

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            善光寺門前の仲見世は、ライトアップできれいでした。

             

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            こちらの建物は、郵便局です。和風

             

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            翌日、早朝からのお参りは、お数珠頂戴をいただきます。楽しみです(^^)/

             

             

            2019.01.13 Sunday

             祖父江 東海別院 善光寺

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              西国三十三ヶ所のお礼参りに信州長野の善光寺に行く途中で 祖父江の東海別院の善光寺に

              行きました。

               住所:愛知県稲沢市祖父江町祖父江南川原57-2

               電話:0587-97-0043

               

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              言い伝えによりますと天正十年(1582年)織田信長・信雄によって善光寺ご本尊如来さまが岐阜より尾張甚目寺へ御遷座の途中、祖父江付近に立ち寄られたとあり、
              その場所に明治四十二年・四十三年と蓮田であった境内地に1本の茎から二つの花が咲くという奇瑞を縁として、
              開基旭住上人が信州善光寺本坊大勧進より善光寺如来さまを勧請して善光寺東海別院を創立しました。

              善光寺東海別院は信州善光寺の別院です。
              山号を双蓮山、寺号を善光寺と称します。

              善光寺如来さまは、現当二世(この世もあの世も)お守り下さるありがたい仏さまです。

              善光寺東海別院の本堂は善光寺特有の撞木(しゅもく)造りで間口14間奥行20間の総欅造りの大伽藍です。
              信州善光寺の本堂の約3分の2の大きさを誇ります。

                                                        祖父江 善光寺 HPより

               

               

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              寒いですが、お天気は☀

               

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              遠くに見える山は、アルプス?雪が積もって白いです。

               

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              2019.01.06 Sunday

              西国三十三所 第33番 谷汲山 華厳寺(たにくみさん けごんじ)

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                西国三十三所 第33番 谷汲山 華厳寺

                 

                住所:岐阜市揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23

                電話:0585-55-2033

                宗派:天台宗

                御本尊:十一面観世音菩薩

                開創年:延歴17(798)年

                開山:豊然上人

                 

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                仁王門

                 

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                階段

                 

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                階段

                 

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                笈摺堂(おいずるどう)

                笈摺は、巡礼者が経巻や仏像を納めた「笈」を背負う際、背中を痛めないように着る袖なしの薄い衣の

                こと。笈摺に朱印を押してもらい、死出に際して棺に入れる習わしもあったという。

                 華厳寺は西国満願の札所であり、ここで巡礼を終えた巡礼者たちは、杖や編み笠と共に笈摺をお堂に

                奉納した。無事に満願をむかえた御礼であると同時に、これから現世という俗世間を生きるために必要

                な儀式でもあったのだろう。

                 笈摺堂内には、納められた笈摺や笠がうずたかく積み上げられている。

                 

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                帰路、参拝者は本堂の柱に据え付けられた「精進落としの鯉」をなでるように触れていく。

                精進落としをして俗世に戻るためのまじない。

                鯉に触れるころには、花山法皇が3首の御詠歌に託した通り、観音様の大慈大悲のこころが

                遍く衆生を照らしていることに気づくころだろう。

                 

                ≪現在≫  春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる 法の崋山

                ≪過去≫  万世の 願いをここに  納めおく 水は苔より 出る谷汲

                ≪未来≫  今までは 親と頼みし 笈摺を  脱ぎて納むる 美濃の谷汲

                 

                                                 パンフレットより

                 

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                2019.01.05 Saturday

                西国三十三所 第32番 繖山 観音正寺 (きぬがささん かんのんしょうじ)

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                  西国三十三所 第32番 繖山 観音正寺

                   

                  住所:滋賀県近江八幡市安土町石寺2

                  電話:0748-46-2549

                  宗派:天台系単位

                  御本尊:千手千眼観世音菩薩

                  開創年:推古天皇13(605)年

                  開山:聖徳太子

                   

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                  寺伝によると、聖徳太子が近江の国を巡っていた際、琵琶湖から人魚が現れ、太子に向かって

                  「仏の道を信じず、殺生ばかりしていたため、このような姿に変わってしまいました。どうか

                  この地にお寺を建て往生できるように御救い下さい」と訴えた。

                   その言葉を受け、太子は、千手千眼観音を刻んで本尊とし、観音正寺を建立したと伝えられる。

                   

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                  応仁の乱(1467〜77)の際、近江の守護・佐々木六角氏が居城を築いたことで、幾度か

                  兵火に見舞われ、苦難の時代を味わった。

                  平成5(1993)年、火災により本堂が全焼し、焼失した。現在の本堂は、2004年再建

                  された。本堂の千手千眼観世音菩薩は、インド政府の許可を受けて23tもの白檀香木を輸入、

                  制作された丈六坐像。(大仏師・松本明慶作。総高約7m、総白檀造)

                   

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                  2019.01.04 Friday

                  西国三十三所 第31番 姨綺耶山 長命寺(いきやさん ちょうめいじ)

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                    西国三十三所 第31番 姨綺耶山 長命寺

                     

                    住所:滋賀県近江八幡市長命寺町157

                    電話:0748-33-0031

                    宗派:天台系単位

                    御本尊:千手十一面聖観世音菩薩三尊一体

                    開創年:推古天皇27(619)年

                    開山:聖徳太子

                     

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                    境内から琵琶湖を見下ろすと滋賀県南部を一望することができる

                     

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                    階段は結構 急です。上って左側が境内です。

                    境内の写真が無かったすいません(>_<)

                     

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                    お参りは、階段がつきものです。足を鍛えておきたいものです。

                     

                    琵琶湖岸から808段の石段を上がりきったところにある。お年寄りや足腰に自信のない人には、

                    中腹にある約100段の参道がおすすめです。

                    6月下旬には参道の両脇にアジサイが鮮やかに咲き誇る。

                     

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                    寺伝によると、第12代景行天皇の御代、武内宿禰がある山に登り、柳の巨木に「長寿長遠諸願成就」

                    と刻み祈願した。宿禰(すくね)は300歳まで長命を保ち。長寿の大臣といわれた。

                     聖徳大氏は諸国歴訪の折にこの地を訪れ、その柳で千手観音、十一面観音、聖観音を刻み、三尊を

                    納める伽藍を建立した。「長命寺」の始まりで、寺名は宿禰が刻んだ「長命長遠」から付けられた。

                     聖徳太子が刻んだと伝えられる本尊の三尊は秘仏。伽藍は戦国時代の永正13(1516)年に兵火で

                    焼失し、現在の建物は慶長年間に再建されたもの。

                     

                    2019.01.03 Thursday

                    西国三十三所 第30番 竹生島 宝厳寺

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                      昨年途中で止まっていた西国三十三所 第30番 竹生島 宝厳寺

                       

                      台風の影響で、境内の被害が多く、補修工事(足場補強)のため、しばらく島へは上陸

                       

                      出来ませんでした。

                       

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                      おまんじゅうを頂きました。ミルク味で美味しかったです。

                       

                      肝心の竹生島の写真が見つからず。。。。。

                       

                      住所:滋賀県長浜市早1664

                      電話:0749-63-4410

                      宗派:真言宗豊山派

                      御本尊:千手千眼観世音菩薩(札所本尊)

                      開創年:神亀元(724)年

                      開山:行基菩薩

                       

                       宝厳寺の開創は奈良時代までさかのぼる。時の聖武天皇の夢枕にあるとき天照皇大神が現れ、

                      「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。国家泰平、

                      五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」と告げた。聖武天皇は行基菩薩を「湖中の小島」に勅使

                      として遣わし、堂塔伽藍を建立させたという。

                       行基菩薩は早速、手ずから大辯才天を彫刻し、本尊として本堂に安置した。その後、天平勝宝5

                      (753)年、行基菩薩の遺志を受け継いだ浅井直馬養が観音堂を建立、千手千眼観音像を安置した

                      という。

                       近世では、太閤豊臣秀吉との関係が深い。多くの書状や宝物が伝わるほか、慶長7(1602)年

                      太閤の遺命を受けた秀頼によって、豊国廟の代表的遺稿である観音堂や唐門などが移築されている。

                      太閤のご座船「日本丸」の船櫓で作られたという渡り廊下「船廊下」も現存する。

                      唐門は、国宝に、観音堂は重要文化財に指定されており、現在、保存修理工事が進められている。

                                             (パンフレットより)

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